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雑木林

キャンプにできること

 キャンプ、自然体験活動、野外教育、私たちの活動はそう呼ばれる。
 私たちに何ができるのか、私たちがやるべきことは何か、幾度も自問
自答する。あるいは、自問はするもののくっきりと自答できずに課題とし
ている。
 大人がこどもを手にかける事件が頻発している。ニュースになる手前
の状態は数え切れないくらいあるに違いないと、容易に想像できる。
露見しないところで、多くのこどもたちが怯えているのだろう。それを
思うと、いたたまれない。
 私たちに何ができるのか。
 キャンプは、将来に向けた積極的な活動である。
明るく生きるために、朗らかに暮らすために、豊かさを味わうために、
活動が積極的に行われる。明るい将来を眺めながら、寛容に笑顔で
活動をつくってゆくのがキャンプである。
 今まで、暗い未来を見なかったわけではない。犯罪防止につながり、
危機管理を学び、非行防止に役立ち、被害者加害者両側面から
暴力回避のスキルも得られる、それもキャンプの役割だと気づいている。
しかし、このことが前面に出ることは無いし、出す必要も無いと思って
いる。私たちの活動の、副産物だからだ。
 暗い未来を明るくするための活動ではなく、明るい将来へ一心に向か
いたい活動だから、副産物でいいのだ。暗い未来を前提にキャンプをす
るとしたら、暗く矮小なキャンプになるだろう。
 私たちがやるべきことは何か。
 私たちは、あくまでも明るい将来を見ていたい。見させてあげたい。
かといって、すくすくと育って欲しいとは思わない。紆余曲折も過ちも
あって良いし、道をふっと踏み外してもかまわない。明るい将来への
道は、上下左右にうねりながら登ってゆくものだ。うねる道でも歩を進
め登ってゆくことが大切で、踏み外しても這い上がることが大切なのだ。
 キャンプは、登る力、這い上がる力を知らぬ間に身につけさせてく
れる。そして紆余曲折のカーブをなだらかにしてくれるし、踏み外して
も落ちないようにしてくれる。
 何を根拠に、と言われるだろうか。残念ながらそれに正確に答える
ことはできない。“強くそう感じる”のが根拠であり、大人になった参加
者が明るい顔で“キャンプが無かったら俺どうなっていたかわからない”
と言ってくれるのも根拠である。
 キャンプにできることはたくさんある。
 どのような事件が起こっても、こどもたちは元気に朗らかに将来に
可能性と夢を持っていなければならない。テレビやインターネットで、
様々な情報から暗い時代を感じることがあるかもしれないが、キャン
プと言う現実の世界で、自分の肌が感じたことを最優先してほしい。
 風、雨、厳しさ、優しさ、仲間、わたし、炎、寒さ、日差し、自然の中
や仲間の中で感じて身に染みていった様々が、今から将来に向かっ
てじわじわとにじみ出て、あるいはぽつぽつと芽吹いてゆく。
 キャンプにぜひ来て欲しい。私のキャンプが肌に合わないなら、
どこか他のキャンプを紹介する用意まである。継続的にキャンプ
に来てみてほしい。家庭の負担も大きいけれど、これから将来へ
向かうこどもたちの負担はもっと大きい。
 私はキャンプを二十年間やってきた。文章にできないもどかしさを
抱えながらも、キャンプの可能性をよくわかっているつもりがある。
 どうか、キャンプにできることをさせていただきたい。  
2005年12月13日コーチャンマン